水戸幸創業

AKASAKA MITOKO
赤坂水戸幸

東京都港区西麻布3-5-42
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TEL 03-3403-9829
FAX 03-3403-9820
営業時間 9:00-17:00
休日 日曜日、祝日
但し土曜日は不定休

美術品商許可 No.
 東京都公安委員会 30111580

所属美術倶楽部
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はじめに水戸幸のルーツを語る上でかかせない、創業にまつわる先人の波瀾に富んだ多彩な足跡をご紹介させて頂きます。
初代吉田幸助が水戸幸の基礎を創り上げるまでの道程は決して平坦な物でなく苦労の積み重ねと言っても過言ではありませんでした。
幸助が質屋をしていた父林彦兵衛を亡い、同業の吉田儀兵衛の養子となったのは、まだ幼い9歳の時、時は、安政4年(1857年)のことでした。当時、茨城の水戸から江戸に出て、数寄屋橋に店舗を構える水戸正という美術商がありました。この水戸正に見習い奉公し後に見込まれて娘婿となる島田忠造が文久3年(1862年)に分家を許されて水戸忠(現在の水戸忠とは異なる)の名で茶道具商をはじめたのですが、忠造に姉まさがおりまして、この姉弟の存在が水戸幸創業にとって大きなカギを握ることになるのです。
まさが嫁いだ先は、江戸幕府や旗本や田安家などに出入りし手広く呉服商を営む大阪屋佐助でした。同家は幸助の養父儀兵衛と商売上の付き合いがありその縁で幸助はまさの弟忠造の水戸忠に奉公し修行したのですが、恐らくその才と働き振りが気に入られ、幸助の実母林シマの遺言もあり、幸助はまさ夫婦の4人の子供の長女ふさと結婚する幸運に恵まれたのです。
その後、幸助・ふさの夫婦はよく働きましたが、そのうえ7人の子宝に恵まれ6男1女とまさに七福神と祝福されこれが幸いして今日の水戸幸グループの発展に繋がります。
幸助は10才で水戸忠に奉公にあがり10年間辛抱した甲斐があって、明治元年(1868年)4月から京橋南鞘町で、いわゆる床店で商売を始め、6年間の努力が実り店の評判が良く大変繁盛だったということでした。幸助は明治7年(1874年)10月に800円という大借金をして、東仲通り南北8丁目ほどの中央南鞘町に生粋の江戸風店舗を構え水戸幸商店の看板を掲げました。
この南鞘町は水戸幸にとって記念すべき発祥の地となったのです。

幸助

幸助

ふさ

ふさ

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