茶道具の商いへ

AKASAKA MITOKO
赤坂水戸幸

東京都港区西麻布3-5-42
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TEL 03-3403-9829
FAX 03-3403-9820
営業時間 9:00-17:00
休日 日曜日、祝日
但し土曜日は不定休

美術品商許可 No.
 東京都公安委員会 30111580

所属美術倶楽部
 東京美術倶楽部
 大阪美術倶楽部
 京都美術倶楽部
 名古屋美術倶楽部
 金沢美術倶楽部

江戸時代より「野暮は山の手、粋は下町」と言われ、その中でも京橋、日本橋は格別に江戸趣味、情緒の色が濃い町並みで、銀座のように西洋風の建物が多いのに比べ、京橋は対照的で、特に東仲通りは日本趣味の瀟洒な老舗が建ち並ぶ商店街で、大通りの騒々しさに引きかえ物静かな老舗の骨董商が多かったことが、町を一段と引き立てておりました。
大正9年(1920年)5月2日、幸助が70才で亡くなった時、水戸幸の後継者として店を守っていたのは、2代目五郎三郎でした。
その五郎三郎は、池上本門寺に墓所を求め、吉田家代々の墓を作って骨をおさめました。
大正11年五郎三郎は、考えるところがあって、発祥の地南鞘町の店を弟である吉之助に譲り、赤坂の歌舞伎役者尾上梅幸の邸宅を買い求め商売をする傍ら、益田鈍翁老のお導きもあり、茶室を持ち茶人の道に進んだのです。
その後、井の頭、軽井沢と茶室を作り、山下亀三郎翁の御支援もあり、当時財界人としてばかりか茶人としても知られていた、益田鈍翁老をはじめ根津青山翁、高橋箒庵老等多くの茶人の方と親しくさせて頂いたことは、生涯忘れ得ぬ思い出となったことだと思います。
そして五郎三郎は、小堀宗中書の「梅露庵」という額を求め茶室を梅露庵と名付け、また自らも茶名を梅露と号し現在もその茶名は受け継がれております。
因みに、女性はお香をやっておりましたので、露香と名乗っております。
現在もその額は、茶室の水屋に掲げられておりますが、現在の西麻布の茶室の扁額は親交の深かった松永耳庵翁に書いて頂いたものです。
当時同業の梅沢、伊丹、山澄、大善等に負けぬよう本人なりに努力し、四季折々の茶事を夫人の富子の手料理などで催した記録が多く残っております。
その一つが、五郎三郎が催したお月見のお茶事で、その様子、会記などを平成8年の9月号の裏千家の雑誌「淡交」に、茶道家の鈴木皓詞氏が取り上げて下さり所載されております。

赤坂七宝の間にて 左より中島洋一、吉田富子、吉田五郎三郎、中村一雄

赤坂七宝の間にて 左より中島洋一、吉田富子、吉田五郎三郎、中村一雄

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